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木羽屋製粉の歴史

初代の創業より130年以上。木羽屋ブランドの誕生から現在の主軸となる本石臼挽き・ロール挽きまでの歴史をご覧ください。

初代
廣田伝介

明治の半ば(1880年頃)、福島県安達郡(ごおり)東和に生を受けた廣田伝介は、主に栗の木の木羽を用い屋根葺きをする生業をこの地で始めた。屋号を「木羽屋」とする。伝介の葺いた屋根は日照りを返し、風雪から守ってくれる「伝介屋根」として近在の村々で評判を呼んだ。この時が「実を粉にする」今日の社名にも受け継がれている木羽屋ブランドの誕生である。

二代目
廣田貞作

明治から大正にかけて、二代目貞作は屋根葺き業から手を引く。魚の天秤売り、瀬戸物の商い、結婚式等の仕出しを手がける傍ら、農家からの委託で精米や小麦、蕎麦の製粉を請け負う。
栗・稗・大麦などの雑穀も集まった。当時は時給自足が一般的だった時代で、個人から預かった穀類を製粉しさらに乾麺等にして戻し、加工賃を戴くという商いの形態があった。

三代目
廣田七右衛門

三代目七右衛門が昭和二十一年、二十一歳で仕事を引き継いだのは終戦直後の食糧難も盛りの頃であった。
そして農家の生活も時給自足から離れだし、流通経済の萌芽が見えてきた。
委託加工業から米・蕎麦・小麦を買い取り加工する製粉販売・製麺販売業に転進。

四代目
廣田育三

四代目、現社長育三は福島会津雄国地方で農協を含め蕎麦の生産農家と協力して今日の「雄国そば」の橋がけをつくる。先祖代々からの家訓である手作りに徹する製法を守りつつ、製粉業を軌道に乗せる。
全国の優良な蕎麦種を扱い、アメリカ・中国蕎麦ルートの開拓もおこなう。木羽屋には世界のあらゆる蕎麦があつまるようになった。

昭和六十年十二月設立
有限会社木羽屋製粉

蕎麦製粉を本業とし、本石臼挽きとロール挽きを主に、福島会津、岩手、北海道等の国内産蕎麦と中国産蕎麦の製品製造ラインを確立する。

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平成十一年
雑穀「荏胡麻」

雑穀「荏胡麻」の機能性に着目、食用油脂「えごま油」の製造を始める。その他、健康志向で見直されてきた雑穀類の製品化も手がける。そして今日、昔からの「手づくり」を守りながら、細かな要望にも迅速に対応できる新たな販売体制を構築。本来、人の身体に良い食品、その基本品目を自然の観点から捉え、各製品に対して自社の厳しい基準で製造・加工し、消費マーケットに流通させている。

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工場にて。
現会長 廣田七右衛門:中央右
(1930年頃)

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木羽屋本社のある針道商店街
(1950年頃)
少年は、現社長 廣田育三

食べるなら、少しでもカラダに良いものを。

ひと味違う自然本来の味と香り。
木羽屋製粉の食についての考えです。

オーダー製粉をご希望の業者様はどうぞお気軽にお問い合わせ下さい。